麗子像と適切なサービスとそれらしさ
衝動的に工作鋏を使って自分で麗子像みたいな前髪にしたあと後悔して行きつけの美容院に泣きつき、アシスタントの若者に失笑される夢を見た。
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ある化粧品を公式サイトから購入したら、その後自分が購入した化粧品について、成分や開発秘話や使いかたなどを知らせるメールマガジンが送られてくるのだが、たった一度ふと思い立って化粧品を購入しただけという関係値に対してメルマガがずっしりと重い。ある程度いいものなんだろうなと思えたから買っているし、なんならまだ封すら開けていないのだよ。
私たち一回二人きりでご飯に行っただけで、毎日LINEしたり心の中を打ち明け合うほどには親しくないよね?
そんな気持ち。
けれどもこれがきめ細やかなサービスだと感じる人もきっとたくさんいるはずで、だからこそその会社もメルマガを続けているのだろうし、万人にしっくりくるサービスってないのだね。
昔とあるメディアが運営するショップに行ったとき、話しかけてきた店員の人から、そのメディアに登場する編集部員の人(広く誰もが知っているような方ではない)の名前を当然知っている前提であらゆる話をにこやかにされたので、自分とは異なる常識を持つ村に踏み入ってしまったようで「ミッドサマー」的な恐怖を感じたけれど、それだって私がそのメディアに思い入れがなかっただけで、好きな人にとっては裏話を聞けてラッキーなんだろうしね。
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出産した著名人の容姿や体型について「産後とは思えない」とか言うの、もういい加減にしてほしい。というかあらゆる属性をさして「◯◯とは思えない」的な言いかたをすべきでない。
人は当たり前にさまざまなので、「それらしくない」と誰かが思うその人は現実に存在しているにもかかわらず、「◯◯とは思えない」と繰り返すことで、「◯◯らしさ」の規範は強化されてしまうのだから。
そこまで明確な形をとっていなくとも、何かしらの思い込みや幻想をもとにした像をこちらの上にふんわりと結びながら話しているのだろうなと思われる人はときおりいる。他者をまっさらな個別の他者として受けとめることはけっこう難しくて、過去の経験をもとにしたり、そこからの距離を計りながら新しい他者の像をつくりあげていくことは大なり小なり多くの人がしていると思うし、そこにある程度の類型化が伴うことも関係性が深まるまでの初期段階においては仕方がないとは思うけれど、勝手なカテゴライズの度合いがあんまりにもひどいと感じる人に対してはその思い込みをぶち壊してやりたいという気持ちだけで言動や態度を決めてしまうことがある。
ねえねえ、こう見えて私、実はきつねそっくりの尻尾が生えているんですよ。
そのうえ髪の毛が一日に3メートル伸びるんですよ。
三度の食事には、A4のコピー用紙を10枚ずつ食べます。
100kmくらい先に書いた文字もなんとなく読めるし、咲いている花より枯れた花が好きです。
そういうことを、知っていますか。