Zoomはいつも幽体離脱

Zoomなどのオンライン会議ツールを日常的に使うようになってすでに一年半くらい経つけれど、いまだに戸惑いがある。

画面の向こう側にいる相手が、自分に向かって話しかけているという事実を、頭では理解していても、どうも心から飲み込めていないようなのです、私は。

一言話しかけられるごとに、いまの言葉が自分に向けられたものであることを点検する作業を、ゼロコンマ数秒かけて毎回行っている。口に入れた飴玉の味をひと舐めごとに確かめるような感じで。会話に加わる人数が増えるごとに、その作業はいっそう複雑化してゆく。コーヒー味とグレープ味と薄荷味が、一つの飴玉からいっぺんにおそってくる。

それ以前にもiPhoneだのSkypeだのでビデオ通話をすることはあったのに、それほど違和感がなかったのはどうしてなんだろうと考えてみると、インターフェイスの問題が大きいかもしれない。いわゆるビデオ通話の場合、基本的には会話をする相手と一対一で向かい合うことになるのに対し、ZoomやGoogle meetの場合、会話の相手と自分が四角いマス目の中に対等にずらりと一堂におさまっていることによって、自分の肉体のいくばくかがこの場にいる生身の自分を置き去りにして、画面の向こう側の世界に行ってしまったような気分になる。

だから画面の向こう側にいる相手が話しかけてきても、それに返事をするのは生身の自分じゃなくて、画面の中に存在しているほうの自分のような気がどこかしていて、生身の自分が返答する声は、なんだかとてもうつろに響く。そんな幽体離脱のような奇妙な感覚にいつも陥っている。

Zoomなどを使うのはもうすっかり普通って感じになっているし、30分(雑談を除いたら実質15分でしたし、なんならメールですみましたね)で終わる打ち合わせのためにわざわざ出かけなくていいのは心から最高だと思っているんだけど、終わったあと身体は元気なのに、いつも魂の疲労感がものすごい。

画面の中にいる自分が何もかも勝手に進めてくれるならもうそれで構わないのだけれど、こちら側にいる自分と同じでとくに気の利いたことは言ってくれない。へらへらと薄ら笑いを浮かべる自分を画面の中に取り残したままビデオ会議ツールをオフにすると、生身の自分は、ぐったりと白目を剥いている。慣れる日が来るのか、これは。